11.ある強みストーリー①
ジョンは、船に乗って、シアトルについた。ポケットの中には、旅費を払って
、わずか8ドルしか無かった。
彼は、運動神経に恵まれていて、闘争心があったので、ボクシングを始めるこ
とにした。才能があるかどうかは、まったく分からなかったが、なんとなく、
ボクシングのセンスがあるような気がして、始めることにした。たまたま、家
の前がボクシングジムで、そこに運命的なものを感じていた。
最初、同じ年のボクサーとの合同練習についていけなかった。体力が無かった
のだ。そのため、毎日のロードワークやエクササイズを確実に進めることにし
た。彼は、明るく何でもポジティブに考えるので、辛い練習でも、良い面を見
つけて、こなしていった。
仲間もできた。彼は、人気者だった。年長者にも可愛がられた。トレーナーと
は、一対一で親密な関係を築き、彼の今までの経験を学んでいった。
次第に強くなっていった。強くなると、余計にまわりに人が集まり始めた。彼
は、数カ月後、1年後の目標とする強さから逆算し、そのためのトレーニング
プログラムを考え、実行していた。
デビューした。苦戦したが、勝った。相手は、同じくデビュー戦だったが、こ
ちらの方が、自分で考えて作戦を練っていたので、その意識の差が出たと思っ
た。勝つたびに、人気が出てきた。
ボクシングは自分の天職だった。大勢の観客を手のひらに載せているような感
覚を得た。人々とコミュニケートしているような気がして、ボクシング以上の
何かを感じていた。
やがて、引退するときが来た。そのときまでに、国内敵なしの状態であり、人
気は沸騰し、雑誌で特集を組まれることもあった。そのたびに、試合には人が
押し寄せ、人気ものになった。
引退後、温めていたプランを実行に移した。ジョンは、ボクサーを親密に育て
、試合のプランを考え、マスコミや協会とうまく付き合いながら宣伝をし、全
てを統合する形でジムを経営したいと考えていた。
その能力も度胸もあった。
1人の世界チャンピオンを育て、国内チャンピオンを3人育てた。業界で
、VIPになった。そして、20年経って、彼は43歳になっていた。
そのころ、気づいたときには、家庭は壊れていた。妻は実家に帰り、子供はぐ
れて、警察のやっかいになっていた。
ジムもうまくいかなくなり、通っていたボクサーは全て、ライバルに取られて
いた。トレーナーは全て退職し、経理を任せていた事務のトップは、横領して
、消えていた。
貯金残高は、いつのまにか大幅に減り、残った金も、離婚した妻に全て取られ
ていた。彼は、一文無しになった。
どうして、こんなことになったのか。ジョンは、全く分からなかった。
ジョンは、今まで作戦を考え、それを最適な形で組み直し、ポジティブに振る
舞い、人と親密な付き合いをして、誰よりも試合の観客とコミュニケートして
きたはずだった。
ジムの運営でも同じつもりだった。だが、局面が変われば、やりかたや心づも
りも変わっていく。それを微調整しないといけなかった。
そう、引退するときに、トレーナーのミッキーに言われた。
「お前さん、今までは人の助けがあって成功したな。これからは、その成功の
要因が、お前さんの足を引っ張るかもな。立ち止まって考えるときは必要だぜ
。そんときは、遠慮なく呼んでくれよ。力になるぜ。」
ミッキーに、声をかけることはなかった。
そう。この20年の前半は良かった。しかし、後半の10年間は、情報をあま
り得なくなり、独善的になっていた。親密な関係を築いていたはずの友人は、
親しくなりすぎて礼儀がなくなって、お互いに離れていた。
観客は、「ジョン!お前の試合がまた見たいぜ」と言ってくれたが
当初は「俺は引退したんだ。今度は、こいつを見てくれ。俺以上にタフで、鋭
い動きをするやつだ」と言っていたが、そのうち「あ、こいつは俺より格下だ
」と思うことが増え、選手を褒めることをやめていた。
そして、なんとなくだが、周りがよそよそしくなるに従い、俺も、明るさを失
っていた。
何もやることがなくなり、俺は故郷に帰ることになった。帰りの船のチケット
を買ったら、ポケットには8ドルしか無かった。
結局、得たものは、お金ではなく、苦い経験だった。でも、やらないよりは良
かった。経験は財産だ。ただ、その財産は、もう使うことはないかもしれない
な。
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